ブランキー インタビュー

ブランキー デビュー前 3人インタビュー

ー 結成が去年の2月で、約1年後にデビューなんて、すごく速いペースだね。

浅井 でも、それまでがそれぞれ長かったもん。

ー 名古屋でやってたんだっけ?

浅井 オレと照ちゃん名古屋でやってて、達也は、もう東京に出てきてた。

ー 中村くんは、東京に出てきて長いの?

中村 そう。ドラムで食ってこうと思って。

浅井 ドラムを食ってこうと思った?

中村 ドラムはあんまり食えんかもしらんけど。

ー なに言ってるの(笑)。で、浅井くんの音楽活動は?

浅井 オレは高校出てから24ぐらいまで名古屋でやってて。その中でハタチぐらいから照ちゃんといっしょにやり出した。途中わかれた時期もあったけど、照ちゃんとは3年ぐらいやってたんじゃないかな。その時はロカビリー・バンドやってたんだけど、やめてひとりで東京に出てきたの。で、メンバー探してたんだけど、ベースが全然見つからなかったから、照ちゃんを「東京でやらない?」って呼んで、当時は他のドラムがいたんだけどイマイチで、達也はオレらのライブ見に来てて、じゃあ、オレが一発やったるとか達也が言って、それでこの3人でやりだしたの。

ー わかりやすい説明をありがとう(笑)。じゃ、名古屋ではロカビリーやってたの?

浅井 ウッドベースがカッコイイから、やろまいって感じ。ただロカビリーっていっても、たぶん、普通に想像されるロカビリーとは全く違ってね。

照井 楽器のスタイルが、ロカビリーってだけ。

浅井 曲は、ロカビリーって感じじゃなかった。

照井 一緒にやる前は、浅井がポジパンやってて、オレがロカビリーやってたから、それが合わさったものだね。

ー じゃあ、そのバンドでやってた音って、今のブランキーの土台になってる感じかな?

照井 っていうか、昔は色一色で、今のブランキーの曲の中でも、ロカビリーのノリとか取り入れてる曲もあるけど、だいぶ年数がたってるから、その間に達也なり、浅井なり、いろんな音楽聞いてるわけだから、そういうの吸収して、もっとパワフルな感じになってると思う。

ー 照井くんは、浅井くんから電話かかってきて、すぐに決めた?

照井 ていうか、自分でもバンド持ってて、そのバンドがぜんぜん面白くなかったやめたいなと思ってて、そんなときに偶然かかってきて、じゃあ、行くわって。

ー 中村くんは、どうやって入ったの?

中村 最初はオレ、マネージャーだったの(笑)。何もやらんかったけど。

ー 何のためのマネージャーなのよ(笑)

中村 おまえよーとか言って、はたからけしかけるだけで、自分では何もやらない。それをマネージャーっていうの(笑)

浅井 初め、いっしょに住んどったもん。6畳ぐらいの部屋に、二段ベッド拾ってきて。

ー 本当に使えるものが捨ててあるの?

中村 落ちまくってるよ。テレビもステレオも冷蔵庫も拾ってきたヤツ。

浅井 オレんちの横がゴミ捨て場でさ、生活には困りませんでしたよ(笑)

ー その六畳に照井くんが転がりこんできたわけだ?

照井 そう。

ー これでメンバーが集まって、まずライブやれるとこを探し始めた?

浅井 うん。でも、なかなかライブもやれなくてさ。今のライブハウスってノルマ制でしょ。最低でも40ぐらいチケット売らなきゃダメなんだね。でも、オレたち誰も知らないから、お客さんなんか来ないし、ほとんど自腹切ってやってた。その頃イカ天ていうのがあって、”一発イカ天に出て、たくさんの人間、あっと言わしたろ”とか言って出たの。

ー で、グランドイカ天キングになったわけなんだけど、自信はあった?

浅井 見た人の心をあっと言わせる自信はあったけどね。ほかのバンドとはぜんぜん違うよっていう自信はあった。

ー ホコテンは考えなかったの?

浅井 うちの中村マネージャーは(笑)、一発ホコテン出ようかと言ってたけどね。なかなか実現しなかった。

中村 ホコテンに一回行けば、そのへんにいる子どもたち30人とか40人にチケットさばけるじゃないですか。オレ、もういいかげん自腹切って金払ってライブやって、何が楽しいんだと思っててさ。

ー でも、イカ天に出たことでプロの話が飛び込んできたわけだ。

浅井 勝ち進んでいくにつれてどんどん増えて、とある人から東芝EMIの人と会ってみないかって言われて、それで初めて直接レコード会社の人と話して、その時に東芝の人達の心意気を感じて、よし決めようって。自分たちで事務所作れるし。

ー うれしかった?

中村 決まった頃は、興奮状態、フィーバー状態だった。今は、だいぶ落ち着いたけどね。

ー ブランキー始めた時って、こんな音楽やりたいねって何か話したんじゃなくて、この3人で音出してみたら、こんな感じになったの?

浅井 そのとおり。

ー 聴かせてもらうと、ロカビリーとかパンクとか、あとブルースっぽい匂いとかを感じるんだけど、やっぱりそんな要素がミックスされたものをやりたいっていう気持ちはあるの?

浅井 ない。考えすぎですよ(笑)。パンクとかブルースとか考えないで、これはこういう作品だと思ってもらえれば

ー 曲作りはどんなふうにやっていくの?

浅井 誰かが曲の基礎になるものを持ってきて、こういう感じでってパーッと歌って、それに照ちゃん達也が合わせて、できてくるんだよ。詞が先にできた時は、詞を部屋で歌いながら、あ、これは合うわとか思って曲を作って、それをスタジオに持っていって、みんなで合わしてやる。

ー アレンジする時は、意見が食い違ったりしない?

浅井 そういうのはしょっちゅうある。練習してて、そのベースラインは好きじゃないとか、そのギターの感じは違うとか。

ー レパートリーは、何曲ぐらいあるの?

浅井 デモテープでとったのは、24曲。

ー その中から、今回のアルバムの10曲はどうやって選んだの?

浅井 まあ、今回はこれでいこうっていう感じかな(笑)。フィーリング!あと、完成度とかさ。

ー ファーストアルバムでロンドンレコーディングなんて、ラッキーだね。

浅井 メチャメチャ嬉しいよ。苦労もしたけど、すごく楽しかった。自分にとってもすごくいい経験だった。

中村 今回プロデューサーが関わってきて、そのプロデューサーがとっても偉大な人だったんで、影響された部分が多くてさ。

照井 とてもよかった。色々勉強もして、いい経験した。ロックンロールの原点、一番大切な部分を教わった。

ー 最後になっちゃったけど、バンド名の意味を教えて。

浅井 空虚な街っていう意味。何もない街っていう意味です。

ー 何か一見暗そうで、前向きじゃないイメージもあるけど、虚無感みたいなものって結構感じてたりするの?

浅井 うん。でも、そういうこと考えとるヤツは弱い人間だって、今日地下鉄で来る時に発見して、力強く生きなあかんなと思ってますけどね。

中村 頑張れよ(笑)

浅井 そんなこと言ってたらあかんぞ(笑)

ー やっぱ、前向きなんじゃない。

浅井 うん。思い切りやるだけだぜって。

 

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