ブランキー インタビュー

ベンジーが語る、デビュー前のアルバイト体験談

ー 浅井さんは、ケーキ屋さんでバイトしていたことがあるそうですね。少し意外な気もするんですが。

浅井 ケーキ屋は10代のときにやっとったよ。名古屋名東区に、人気のあるケーキ屋さんがあって、店の裏に工場があるんだけど、オレは一番下っ端でさ(笑)、イチゴのヘタを取ったり、フルーツの皮をむいたり。

ー 名古屋で他にどんなバイトをやりましたか?

浅井 ケーキ屋のバイトに行っとる時に、絵の教室に1カ月行ったんだけど、そこの先生がデザイン会社を持っとって、そこで働きなさいって言われて、そこに転職したの。そこに2ヶ月くらいおったかなあ。そこでも一番下っ端なんだけど(笑)、先生にけっこう買われててさ。その会社のパンフレット作るときとか、オレの絵を載せてくれたりして。
、、あとは、プール・バーのバイトとか、コンビニでもやっとったよ。

ー バイトを選ぶときのポイントって何かありましたか

浅井 ラクで金がいいとこ(笑)楽しくてお金もいいところがいいけど、そんなもんないもん。絶対ない(笑)だから、生活できるだけのお金を稼げて、その範囲内で、できるだけ楽しそうなとこを探す。

ー アルバイトは上京されてからもやりましたか?

浅井 うん。ウレタンの吹きつけのバイト。で、そこのバイトで友達になった子たちが、達也と知り合いだったんだわ。オレも達也とは昔から知り合いだったけど、ずっと音沙汰がない状態で。達也は「F.O.A.D」っていうバンドをやっとたから、前から東京に来とって。で、そのバイト先の友達から聞いて、達也が住んどる東高円寺のアパートに顔を出したのが、東高円寺での再会。

ー バイトのおかげで、久々に出会うことができたんですね。

浅井 そう。それで、1週間くらい達也の部屋に居候させてもらって、すぐ自分で東高円寺にアパート借りて住み始めた。

ー ところで、浅井さんは「」のシゴトも経験したことがあるとか。

浅井 あるよ。でも「ライト鳶」ね。服装もバッシュ履いて、ヘルメットも被らんし、ジャージ着て働く。だから「ライト鳶」(笑)

ー ちなみに、その仕事はどうやって見つけたんですか?

浅井 友達がそこでやっとって、「そこのボス、すごくいいよ」って聞いて。実際に入ってみたら、すごくよかった、はじめだけ(笑)

ー はじめだけ?(笑)

浅井 すっごい羽振りがよくってさあ。バイトしとる子は、みんなペンキだらけのジャージとか着とるんだけど、ドイツレストランとかに連れてってくれて。きっぷが良くて、1カ月くらい働いたらグアム旅行に連れってくれたの、慰安旅行で。当時は外国なんか行ったことないじゃん?やったあって思って、ほんでパスポート取りにいって、めちゃんこ楽しかったな、あれ。

ー 働いてるバイトの人、みんなで行くわけですよね。ぜんぶボス持ちで?

浅井 そうだよ。だってバブル最盛期だもん(笑)

ー 「すごくよかった」ボスの印象が崩れてしまったのは(笑)?

浅井 それまで昼メシは絶対ボスが出してくれとったんだけど、途中から出してくれなくなった、なんでか知らんけど(笑)。給料もちょっと少なくなったりして。でももちろん、いい人に変わりはなかったけどね。で、そうこうしとるうちに、ブランキーでデビューすることが決まって。

ー 音楽活動に専念することに?

浅井 そう。

ー 最後にいろいろなバイトを経験してきた浅井さんから、読者にオススメのバイトをひとつ、あげていただけませんか?

浅井 なんだろう。努力余地のあるシゴト。自分の工夫しだいで、よりよくなる余地があるシゴトがいいよ。ただ単純に時間が流れていくだけのシゴトは苦しすぎる、っていうか、儚すぎる。少しでもクリエイティブに働けるバイトの方がおもしろいと思う。でも、どんなシゴトでも工夫しようと思えばできるもんね。

ー 自分の工夫次第ですよね。

浅井 じゃあ、なんでもアリってことで(笑)。あとは「運」だね。結局は行ってみんとわからんもん。

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